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望月 稔 先生を偲ぶ

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by Patrick Augé

Published Online

Translated by Takashi Koto

 望月先生が亡くなられて二年たちます。先生の「捨て身技」、合気道の修行に対する実用に徹した姿勢、互いの幸せと発展についての講義は、これからも多くの人の記憶に残るでしょう。しかし、直弟子、とくに先生が亡くなるまで三十年から五十年も続いた関係を保った数人の内弟子は、先生の人間としてかつ師範としての人格を忘れることはありません。道場で先生と生活を共にする幸運を得た人たちは、先生の日常生活や、学ぶ人々にとって汲めども尽きぬ不断の教えの水源を目の当たりにした証人です。

 すべての人が望月先生(館長先生と呼ばれていました)の寛大な心を知っていました。それは教師に必要な最初の品性です。私たちが望月先生から学んだ教訓のひとつは、人と分かち合えるのは、自分の持っているものだけだということです。まず自身をうまく対処する方法を学べば、他の人もうまく対処できます。先生の寛大さは賢明な寛大さを意味しました。すなわち、人の欲するものに基づいて与えるのではなく、人の必要とするものに基づいて与えるということです。

 弟子が学び、練習し、生活するための永続的な場所を持てるように、先生は宿泊施設付きの道場を建てました。先生と奥様(望月夫人)は内弟子と一緒に道場に住み、二階の二部屋のつましい空間を占めました。お二人は都心部に家を持っていましたが、弟子と訪問者に会えるように、道場に住むほうを好みました。

 館長先生と奥様は粗食でしたが、冷蔵庫はいつも食べ物がいっぱいで、誰でも利用できました。来客があったり、誰かが夜更かしをすると、すぐに食事が準備されました。

 自分の持ち物を他の人に使わせるのは寛大な心の表れと言えましょう。しかし、それよりももっと寛大さを示すものがあります。それは、自分自身を他の人に使わせることです。望月先生が特別な教えを与えるために練習後も残ることがしばしばありました。ヨーロッパの大きなセミナーで、他のほとんどの先生はショッピングと観光のために勇んで外出しましたが、先生は教え続けました。後で私たちにこう言ったことがあります。「私は明日死ぬかもしれない、だから、無駄にする時間などないのだ」と。

 道場の先生のお部屋の扉はいつも開いていました。そして、先生は入り口の脇に置かれた小さなテーブルに向かってよく座っていました。そのテーブルは、いつもペン、鉛筆、辞書、新聞の切り抜き、原稿などで覆われていました。テーブルが面する壁に大きな世界地図が貼ってありました。この空間は、先生がふだん読み書きをした所でした。そこで朝食さえ取りました。館長先生は、早く起床し、自身で朝食を用意したものでした。先生の好きな朝食は、バターやジャムをぬったパンとカフェオレでした。それを朝日を見ながらテーブルで静かに食べるのでした。そして、食器を洗うと(自分でする、といつも主張しました)、新聞を読むのでした。手紙が配達されると、先生はそれを開き、翻訳が必要ならば私たちを呼び、ただちに返信するのでした。

 館長先生に話したい人が来ると、その人と会うために、先生はただちに姿を見せました。たとえ何をしていてもそれをやめ、私たちが世界で最も大切な人であるかのように、耳を傾けました。そして、話が終わると、何事もなかったかのように、していたことに戻るのでした。館長先生の晩年になると、夕方の修行を最高の状態で教えることを最優先にするのが日課でした。そのため、先生はよく昼寝をしました。「どなたか見えたら、起こしなさい」というのが口癖でした。先生の神経は決して衰えませんでした。目覚めると、何もなかったかのように会話を始めることができました。

 私個人は、その教えに従うことが最も難しいと感じていました。完全に集中しなければならない仕事の最中に、来客があったり、電話がかかってきてすぐに対応しなくてはならない場合でも、そのほとんどは緊急の用ではないからです。しかし、館長先生の例を見ているうちに、悟ることがありました。わざわざ遠くから私に会いにきた人や、私以外に相談する人がいない人の話に耳を傾ける重要な瞬間を逃してもいいのか、ということです。

 館長先生の傍らで生活するのは、まったく地面なしで暮らすようなものでした。質問に対する明確で安全な答えを予期している人にとって、養正館は理想的な場所ではありません。この類の精神的な負担に耐えられない多くの弟子が去りました。彼らは、自分が快適である領域を越えた役目を果たすことを学ぶことができませんでした。私が道場に到着した直後に、私の先生のひとりがこう言ったことがあります。「驚かないように、自分を訓練しなさい」と。私はその言葉を「予期せぬものを予期するような心構えをしなさい」ということだと解釈しています。

 望月先生の教えを修行に適用すると、絶え間なく技術の発展する芸術のようなものです――新しい状況に反応し、修行中に突然思いつく技術と言えましょう。それが「表」です。しかし、教えのほとんどは、私たちが日常生活を営み、思考するやり方で表現されます。何が起こっても受け入れ、それにどう対処するかがわかるように自身を訓練する結果です。それが「裏」です。

 これが、私たちが自信をもって未知の領域に入り、先生の教えを他の人に分け与えることができるように、望月先生が私たちに残してくれた基準です。先生が先生の師たちから引き継いだ精神的な流れは、先生の寛大な招待を受け、その教えを「修業」とする私たちの中で今でも流れ続けています。

Patrick Augé
International Yoseikan Budo Association